想像しない人々

私は女だ。

性自認も、身体的特徴も女なので、おそらくまるっきり女だと考えて良いと思う。

女の人には、色々な出来事が身に降りかかる。それはもちろん、男の人にも性特有の出来事があるのだろうけど、女の人には女の人なりの出来事があるよね、という意味だ。


先日「彼女は頭が悪いから」を読んだ。フェミニズムが台頭する中で、女性として自らの立ち位置を決めたかったからだ。まだその立ち位置は決まらないけど、この本は一読する価値はあるものだった。


本の内容は省くが、私には1つ疑問があった。私たちは、特に「彼女」は女性だったことが問題だったのか?頭が悪い(というより、そう捉えられてしまったこと)ことが問題だったのか?

しかし、このどちらも答えではない。と、今のは私は感じている。考えるのではなく感じている。なぜならば、それを体験させられたからだ。これが今日述べたい私の「女の人の身に降りかかる出来事」だ。


私は今日、はじめて会う男性と少しの間会話をした。別に会う約束をしていたわけでもなく、そういった目的の場に赴いたわけでもない。何の変哲も無い飲み屋で飲んでいたら、隣の席の方に少し話しかけられただけのことだ。

しかし、それは私にとって驚きの出来事だった。話しかけられたことそれ自体ではなく、会話の内容が、である。


彼らは自分達を証券マンと銀行員だ、と紹介した。私たちは、そうなんですね、と返した。社名等は聞かなかった。それがマナーだと思っていたからだ。

次に彼らは私たちの仕事を訪ねてきた。私たちは、職種だけを述べた。すると彼らは重ねて社名を質問した。私たちはそっと濁した。それがマナーだと思っていたし、彼らも私たちに具体的な社名を明かしはしなかったからだ。

私たちが社名を明かさないとわかると、彼らは強く追求をはじめた。条件がイーブンでないから教えたくないと言っても、取り合いはしなかった。彼らはヒートアップし、それがあまりに不躾な尋ね方だったので、私たちはがんとして社名を明かさなかった。彼らはどんどん機嫌を悪くした。もともと個別で飲んでいただけだったので、私たちはその頃になるとほとんど相手をしなくなっていたが、彼らは躍起になっているようだった。

すると次に、彼らは学歴を気にし始めた。そこでもしかして、と思った。この人たちは私たちを「下に」見たいのかもしれない。その確認作業がしたいのかもしれない。

彼らのことを不快に思い始めたので、私たちはその後すぐに席を立った。こういった経験ははじめてだった。ある種の感動を覚える経験だった。


考える。

彼らは私たちが女性だったからあんな態度に出たのだろうか、私たちが男性だったら席を立たずに済んだのか。

答えはわからない。彼らの真意はわからないし、「もしも」は検証できない。

でもあの時、私はこの不快を、私たちが女性であることを起因とした不快だと感じた。私は、彼らが「この子たちは女である。女であるからには、自分たちより頭が悪い(社会的地位が低い)存在であるに違いない」と考えていたのではないかと感じた。そして、それを確かめたいのではないかと。確かめて、安心したいのではないかと。考えたのではなく感じたのだ。全くの勘違いだったら申し訳ないが、この感じ方から私のフェミニズムがはじまるのかもしれない。

帰り道、私たちのうちの1人がポツリとつぶやいた。

「わたし、証券会社から内定をもらっていたけど、あんな人たちがいるなら行かなくて良かった。」


彼らは想像しただろうか、彼女が同じ会社にいたかもしれないことを。